明治の大文豪といえば誰もが夏目漱石の名前を挙げるのではないでしょうか。それほど夏目漱石は日本人にはなじみ深い文豪です。夏目漱石は東京帝国大学を卒業後、最初に愛媛の松山に赴任します。その後熊本の第五高等学校教授を務め、イギリスに留学します。
この熊本に赴任時代に小説草枕のアイディアを考えたといわれます。インテリで気難しい漱石先生が、火の国熊本の県人の持つ肥後もっこす(がんこ、ごうじょう)と渡り合いながら、作家と教授ライフをどう送って行ったのかを検証する旅です。
どうぞみなさまお楽しみください。
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夏目漱石内坪井旧居
出典:
https://kumamoto-guide.jp/spots/detail/7...
熊本の事を「森の都」と最初に呼んだのは何を隠そう夏目漱石です。熊本で初めて降りたちがたのが、上熊本駅です。ここには漱石の銅像が立っています。
夏目漱石が初めて熊本にやってきたのは、1896年今から約120年前の事です。当時29歳のまだ独身だった夏目漱石は、四国の松山から熊本へやってきます。
〇「ぼっちゃん」で有名な松山よりも熊本生活が長かった
小説「ぼっちゃん」は有名ですが、松山にはわずか1年しか住んでいませんでした。熊本にはひっこし6回の通算4年3か月、何と松山の「4倍」住んでいます。
〇漱石は「熊本で住んだ家で一番よかった」と夏目漱石旧居のことをいった
夏目漱石熊本で妻鏡子と結婚、その後長女筆子もここ夏目漱石旧居で生まれます。今でも長女筆子の産湯に使った井戸は健在です。
〇記念館として夏目漱石ゆかりの品が展示されている
現在では記念館になっており漱石直筆の原稿やレプリカ原稿、ねこのからくり人形が置いてあります。
峠の茶屋(現在 峠の茶屋公園)
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「おい、と声をかけたが返事がない」こそが、夏目漱石と峠の茶屋の関係を小説「草枕」の一節に入れられています。夏目漱石は明治30年に友人の山川信次郎と熊本市内から現在の玉名市の天水町へ旅をした途中でここ「峠の茶屋」に休憩のために立ち寄ります。
丁度この場所は当時も今も熊本市と天水町の中間点であり、休憩にはもってこいの場所なのです。
〇熊本名物「だご汁」が食べられるお店がある
ここは熊本名物の「だご汁」を食べさせてくれるお店があります。「だご汁」は数人分を昔ながらの鉄なべに入れられて出てきます。家族や友人と分け合って食べてください。みんなで食べるとおいしいですよ。
「だご汁」は出汁の中に野菜や鶏肉、麺は小麦粉でこねた塊ごといれるので、ダンゴから転化して「だご汁」になりました。味は醤油味が多いです。
〇夏目漱石資料館も併設されている
資料館には夏目漱石ゆかりの品や当時の夏目漱石についての資料が置いてあります。茅葺屋根なので趣があります。
前田家別邸
出典:
http://www.kusamakura.jp/web/maedake/kus...
前田家別邸の当主前田案山子(まえだかがし)は元々はやりの達人で細川藩に指南役として勤めていた人でした。本名は前田覚之助(まえだかくのすけ)でしたが、明治維新を機に農民と共に生きる覚悟で案山子(かがし)と改名します。
明治11年にこの地に別邸を建てます。その別邸が後の「前田家別邸」です。そしてここに自由民権運動の闘士たちや中国革命の志士たちが集まってきます。その後屋敷の一部を温泉宿として開放したのが、前田家別邸が温泉宿になった始まりです。
その当時ここ小天温泉は熊本市内から最も近い温泉地として有名でした。小天温泉を旧制五校の教師たちも好んで温泉に入りに来ています。
月日は流れ明治30年の暮れに、夏目漱石は友人と「前田家別邸」を初めて訪れ数日間過ごします。その後明治39年に小天温泉への旅をモチーフにした小説「草枕」を発表します。なお小説の中で「前田家別邸」は「那古井の宿」、前田案山子は「老隠居」として作中に登場します。なんだか素敵な話ですね。
草枕温泉天水
出典:
http://www.ar.kumanichi.com/2014/12/1204...
草枕温泉天水は夏目漱石の小説「草枕」にちなんで名付けられた天水町小天の温泉施設です。館内は「草枕」に登場する人達の物語や資料が展示されています。
また昭和の名優といわれた「笠智衆」さんはここ天水町の出身です。館内には昭和を代表する映画の看板が展示され、レトロな映画ファンに人気の場所です。
〇草枕温泉天水のお湯は100%天然温泉水を使っています。
〇温泉の効能は神経痛、筋肉痛、関節痛に効果があります。
〇山の上に作られている為、露天風呂からの景色は絶景です。
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